2009年12月31日(木) 『「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です」』マルコ6:38
『「パンはどれぐらいありますか。行って見て来なさい」彼らは確かめて言った。「五つです。それと魚が二匹です」』マルコ6:38
「パンはどれぐらいあるか・・彼らは確かめて」、どれほどあるか"確かめる"ことは大切だ。まず現状はどうか。はっきりと確かめる事を求められる。自分の真実のありのままの状態を知って、現状を主にそのまま持って行く事ができる。 主はありのままを用いて下さるが、現状を認めさせられる。「〜ができません」「〜の弱さがあります」「〜が少しできます」「〜を少し持っています」能力や持っているものが僅かでも構わない。そのまま主のもとへ持って行くことだ。 ヨハネは「小さい」魚を二匹と言っている。小さくて良い。こんなもの何になろう、何の足しになろう、無いも同然、こんなもの仕方がないと思うだろうか。「少しの〜がある」それを持って主のもとへ行き、お献げしよう。 主は「小さな」ものを用いて、どんなに大きなみわざをされるかに驚くばかりだ。小さいからこそ、返って主の素晴らしさが現される。自分が握っているなら、そのままで終わる。 しかし、主のもとに献げるなら、どんな小さなものでも、主は大いに祝福して下さり、周囲の人々の満腹のために用いて下さる。家庭で、学校で職場で、祝福の器とされる。あなたの手にある「小さな」ものを、主に献げよう。こんなものが何に・・と思うそれを、主は受け取り用いて下さる。 ----------- 小さなものも主に差出し委ねる時、大きな力とされ「私を強くしてくださるかたによって、どんなことでもできるのです」と力強く宣言して行ける。自分だけの頼りない歩みでは消して味わえない素晴らしい主の栄光を拝して、来る年も歩もう。