2010年03月31日(水)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道3:11



すべての事に、神の厳粛なる「時」がある。祈りの中でその、神の時を見分けて行けるなら幸いだ。物理的には、環境は開かれているのに、気持ちが無い、気持ちが沿っていない事がある。又、逆に、強い気持ちがあるのに、環境が全く開かれなかったりする。それぞれ神の時ではない事を学ぶ。

心が備えられ、整えられ、且つ、環境も開かれている、そのような神の時には、信仰によって前進すべきだ。ある人の証しだ。会堂建設を教会皆で祈っていた中で、バブルが弾けて丁度土地が下がった。今だ!と思った。今なら格安で買える。今こそが神の時だと。

しかし、牧師は頑として動かなかった。早く、早くしなければと思うが、牧師が見ていたのは、土地の価格でなく教会の一致であった。まだ機が熟していない。一致のためにもっと祈らねばと。結果的に、皆が一致し、神の時に土地は与えられ、会堂が建った。時を待ったので、土地は値上がりしたが、それにも増して多
額の費用が備えられ、更に大きな神の栄光を見るに至った。

すべての事に定まった時期がある。その絶妙なる時を悟って従う時、素晴らしい神の栄光が現れる。信仰生活「神の時」に目を向けていよう。
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すべてに神様の美しい時がある。環境の門が開き、自分のうちの思いも静かに受け入れられる時がある。いつも神様に問いながら、その素晴らしい時を待とう。