2010年06月30日(水)

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」ピリピ2:13

神は、私たちの心に思いを授けられる。御心にかなった思いを心に置いて、私た
ちを導かれる。「〜したい」「〜しよう」との思いが来る。

神は御声をかけて導かれるが、同様のことをサタンもする。それゆえ、心に起き
る思いが、すべて神からのものではない。「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、お
びき寄せられて、誘惑されるのです」欲による願望がある。

サタンは「火矢」を投げ込み、心に思いを吹き込んでくる。自分から湧き上がっ
て来る、肉の思いもある。では、どれが神からの思いなのか。見分けるためには、
とにかくよく祈ることが大切だ。祈りが非常に重要だ。

その思いは、御言葉と合致するか。どうであれ、神は、御言葉に反する方向へ導
かれる事は絶対に無い。目的のために手段を選ばないものも、 神からではない。
結果さえ良ければ、結果オーライであれば、良いではないかというものはサタン
だ。

神から出たものは、目的も手段も正しい。それは周囲の人の徳を立て、人々の霊
的成長に役立つ。神の栄光が現れる。

又、その思いは変わらないか。一時的な感情なら、時間と共に思いも状況も変わ
って行く。大切な事柄であれば、焦らずよく時間をかけて祈ることだ。時間をか
ける事で明らかにされる。御心なら雲の柱により、必ず導きが来て、門が開かれ
て行く。
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神から発した志は、神によって成り、神に至る。神が始められた事なら、神が完
成させて下さる。「良い働きを始められた方は・・それを完成させて下さることを、
堅く信じているのです」。神から出ているかどうかだけが、肝心だ。