2010年08月31日(火) 「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ」イザヤ54:1
「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ」イザヤ54:1
ある人が、大きな打撃が重なった。商売をしていたが、心から信頼していた人に裏切られた。精神的ショックは大きく、立ち直れない状態だった。更に、金銭的な事が関わっていて、経済的苦境に追い込まれた。 出来る限りの手を尽くしたが、どうにもならず、何がどうなったのか、わけがわからず、失意のどん底で、もう、放心状態で日を過ごしていた。祈る力もなく、ぼんやりとしていた。気力が無く、何もどうする事もできなかった。 しばらくそんな状態の後、聖書を読むでもなく、ぼう〜っと、ただ見ていた。ただ見ていた御言葉だったが、ふっと目に止まり、心に入って来るのを感じた。「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。喜びの歌声を上げて叫べ」まさに心に語りかけて来る、主の御声だった。 「子を産まない不妊の女」今の自分の状態そのままだった。自分のことだ。「喜び歌え」と。「あなたの天幕の場所を広げ・・あなたは右と左に増え広がり・・永遠に変わらぬ愛をもってあなたをあわれむ」。死んだような、沈み込んだ心に、光が射し込み、引き上げられるのを感じた。 心が暖かくなり、上を、神を見上げるようにされた。新しい力が来た。「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、いのちです」。私たちが、どのような状態であっても、主が語りかけて下さる言葉によって、もう一度、立ち上がる ことができる。あなたも何度も経験したことだろう。主の御声に耳を澄まそう。 ----------------- 神はみ言葉によって語りかけられる。御霊によって導かれ、自分だけにかけられている御声を聞く。何の指針もなく流れているこの世から、み言葉の盾により神は私達を囲い守って下さる。