2010年09月30日(木)

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」Tヨハネ5:14


神は「願え」「求めよ」と言われている。そして、願い事を神に知って頂けと言われる。「あなたの願い事を神に知っていただきなさい」。「感謝をもって」一つ一つ、神に知らせなければならない。願うのは良い事だ。神は喜んで下さる。

しかし、気をつけなければならない。肉の性質があり、自分の欲望、わがまま、自己中心が願いの中に出て来る。自分の思い通りに、期待通りに主に動いてもらおうとする。期待通りにならなければ、どうか。自分の思い通りでない事につまづいて、主のもとを去った人々もいる。

しかし、これは「信仰」ではない。主は便利屋ではない。願うと何でも思い通りのものが来る、サンタクロースではないし、お金を入れると欲しい飲み物が出て来る、自動販売機ではない。主にはご自分の「しようとしていること」ヨハ6:6があられ、意思とご計画をお持ちだ。主の御心だけが成る。肉の願いは成らない。

願いが、もし結果的に主と違うのなら、こちら側で軌道修正する必要がある。自分ではまともな願いと思っているが、実は「自分に都合のよい、気ままな願い」であったりする。自分を変え、自分を主にそわせ、主の御心に従い、主と一つになって行く時、その願いは叶えられる。それはまさに主の願いであるからだ。
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思いのままに祈るのは大切だが、祈りの答えを聞くことも忘れてはいけない。決定権は神様にあり、その答えに自らを添わせ、謙遜にどんな答えであっても感謝し受けて行きたい。