2010年11月30日(火)

「人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか」箴言20:24


オリンピックや各種試合、入試や就職試験は、どんなに緊張するだろう。平素これ以上出来ないほどの準備をしても、その成果が確実に表れるとは限らない。当日の体調や、精神状態、不意の状況が起きるかも知れない。オリンピックなど、極度の緊張からミスが出て、本番で実力が発揮出来ない選手も少なくない。

練習量や、自分の精神力、自分の力だけではどうにもならない事を見せられる。人の歩みは、まさに主によって定められる。主と共に歩み、そこに主を認める事のできる私達は何と幸いだろう。

私たちの進学、就職、転勤等の進路、目の前に起こる出来事、状況、それらはすべて主が定めて下さったものだ。それを、主が定められたものと受け取る時、揺るがない平安と確信を持って進むことができる。

又、今後も、主は私たちの手を取って、御心の道へと導いて下さる。その妨げになるのが、自分の肉の思いだ。自分の欲望があり、その思いは非常に強い。自分の歩みは、自分で決めたいのだ。思い通りにしたい。自分のプランがあり、どうしても手放す事が出来ない。強い自我がある。

神は、あなたに、すでに最善の道を用意しておられる。自分のプランを明け渡す時に、幸せの道へと導かれる。握って放せないなら「放せません」と、まず自らの状態を認めて祈ろう。出来ませんと祈る時、出来るようにして下さる。
-----------------
なぜ、何で?と思い煩ったり当惑する時、自分のプランを練り保とうとしていないか。神様の定められた道はその時は、無理、不可能にしか見えないかもしれないがそのままの思いを打ち明けながら一歩でも神様の喜ばれる道に歩を進めよう。