2011年04月30日(土)

「もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」創世記13:9 


「もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左        

アブラハムとロトは行動を共にして来たが、持ち物が増え過ぎ、従者間に争いが
起こり、一緒に住む事が不可能になった。そのため、別れる事になり、その時に、
アブラハムは、ロトにまず好きな場所を選ばせた。

本来なら、目上であり、又、今までの繁栄は叔父のお陰であり、世話になった叔
父にへりくだって、譲るべきだった。しかるに、ロトは損得勘定で、全地を見渡
し、見たところ最も牧草の茂る潤った地を選んだ。ロトは神に祈ることも、叔父
を立てることもなかった。自分の事しかなく、見た目で判断した。しかしそれは
堕落したソドムとゴモラだった。

アブラハムは、所有権を神に明け渡していたので、ロトに譲る事ができた。すべ
てを神の御前に置いた彼だが、結果的に神は「この地全部を与える」と言われた。
人生に岐路があり、重大は判断を迫られる時がある。その時、まず神に祈る事が
大切だ。自分の思いで決めてはならない。見た目で、損得勘定で決めたロトの結
末は破滅であり悲惨であった。

「人の目にはまっすぐに見える」が「その道の終わりは死の道である」。肉の目
には、自分の名誉、地位、賞賛、欲望が満たされる道がある。しかしその終わり
は死だ。実を結ぶ事がない。ロトのように損得で判断せず、神の御心を選択しよ
う。それが自分にとって幸せの道であり、周囲をも祝福して行く。

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目の前の事柄一つ一つに、どのように判断し、選択しているだろう。根にあるも
のは、自分の都合、損得だろうか、それとも神の御心だろうか。死といのちに別
れてしまう。目の前の選択に、自分の思いでなく、主のお心を祈り求めて行きた
い。