2011年08月31日(水)

「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」箴言29:25



信仰生活で「恐れ」が罠になることに気付かされる。誰しも幸せを願うが、どうなれば幸せなのだろう。この世では人からの賞賛、評価、人に認められる事だ。しかし、人の評価で、自分が幸せになったり、落ち込んだりするのは、いかがなものか。自分の幸せが、他人によって定められ、コントロールされている事になる。それこそ、人の目を気にし、人を恐れて罠にかかってしまう。

よくある事だが、対人関係で、合わない人が必ずいる。その人の言動や態度で、悪く思われているのではと、疑いが起こり、あれこれと考え、心暗くなる。しかし、相手が本当にそうなのか、自分の妄想なのかわからない。そこに巧みにサタンが乗じて来て、疑心暗鬼にする。そんな時の鍵は「主に信頼すること」だ。主に信頼して行く時、罠から逃れられる。人に振り回されずに、自分は主に従って行くことだ。

例えば相手が挨拶を返さずとも、自分は挨拶をして行く。人の目を恐れず、主に従い、自分のすべき事をして行く時、自分自身は心が守られ平安だ。又、人の顔色を見るなら、正しい事ができなくなる。自分だけ違う行動を取るなら、皆にどう思われるかと、恐れによって自分が制御されてしまう。しかし、そんな時「主を恐れることはいのちの泉。死のわなからのがれさせる」。主を見上げ、主に従う時、力と平安が与えられ、死の罠から逃れる事ができる。
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目の前に来る人の思惑や感情に敏感に反応し対処する知恵をずっと訓練させられて来たが、今は主の指針を持っている。主を見上げ、心がいつも主の御心の内にることを祈ろう。神の前にも人前にも聡明でこころ守られる道だ。