2011年10月31日(月)

「自己中心や虚栄からすることなく・・自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」ピリピ2:3


信仰生活、対人関係の悩みをしばしば経験する。問題が起きた時に、ますます問題を根深くしてしまう事がある。それは、相手を変えよう〃とする時だ。すべての対人関係で言えるが、自分は正しいと思うので、間違っている相手を変えようとする。すると、誰しも人に変えられるのは、拒否反応が起こるわけで、相手は反発し、ますます頑なになる。争いになるばかりだ。

相手を変えようとして、相手が変わる事はない。どうすれば良いのか。相手を変えようとしない事だ。相手でなく、自分が変わろうとするなら、問題解決へと向かう。トラブルの多くは、自分自身、又、相手の人格的未熟さ、信仰的未熟さによる。未熟は未熟で良い。構わない。これから成長して行ける。しかし、問題は自分が未熟だと思っていない事だ。相手は未熟かも知れないが、自分の未熟さを認めない。認める以前に気づいていない。そこを認める時、問題解決の糸口を見出した事になる。

トラブルを通して、今まで見えていなかった自らの自己中心や高ぶり、虚栄心が見せられ、気づきが与えられる。生まれつきの性質の特徴は「自己中心」「虚栄」だ。「自己中心」は自分の利益を求め、まず「他人」でなく「自分」の損得を計算して動く。「虚栄」は「実質がないのに、見せかけを繕う」。御霊の気づきが何よりも感謝だ。へりくだって認めて行く時、自分が変えられて行く。
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いらいらさせられる相手ではなく、いらいらする自分をいつも見て行きたい。他の人を顧みられない自分ではないのか。神様の取り扱いはいつも益となり祝福だ。御前にへりくだりいつも自分を変えて下さいの態度でいたい。