2011年12月31日(土)

「というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現われるからである」Uコリン ト12:9


ある青年が、主のために働きたいと召しに応じ、神学校で学んだ。卒業後、田舎
の小さな教会に遣わされた。主のために熱い志と、希望に燃えて、使命感で一杯
だった。主の教会を建て上げ、救霊に励みたいと、喜び持って働きについた。

何でもできると希望に溢れていた。しかし、因習が強く、閉鎖的な環境の中で、
宣教の非常な困難さに、ぶち当たった。更に、小さな教会の群れを、うまく導く
ことができない。人々との気持ちの行き違い、ズレに、悩み苦しんだ。聖書と神
学を学び、様々なノウハウを学び、豊かな知識を持っていた。

しかし、対人関係がうまく行かない。消耗するばかりで、どんどん落ち込んで行
った。何の結果も出ないばかりか、ますます悪くなっているように見える。懸命
に労し、頑張った。苦しい歳月の後、空回りし、燃え尽き症候群に陥ってしまっ
た。

自信満々で、何でもできると思っていた自分が、いかに弱く無力であるかを思い
知らされた。挫折し、行き詰まり、その無力のどん底で、真に主に出会った。全
く裁きも責めもされなかった。慈しみに満ちた、主の深い愛に包まれた。

自分を真に支えてくれるものは、自分の知恵、力、自信でなく、何があっても決
して変わらない、主のご愛である事を身をもって経験した。すべてを主に明け渡
して、深い安堵、平安に包まれた。再び立ち上がれて、今度は、自分の力でなく
御霊によって、平安の中で導かれて行った。

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主は、私たちの能力や力を求めておられない。逆だ。無力であり、何も出来ない
事を認める事を求めておられる。自分の力が打ち砕かれた時に、主に明け渡した
時に初めて、御霊の力を経験する。主が働かれる。御霊によって生きる事を体験
する。弱さこそが大きな恵みだ。