2012年02月29日(水)

「耳のある者は聞きなさい」マタイ13:9



ただ単に聞くのではなく、「聞き方に注意しなさい」と言われている。イスラエルの民は、モーセから神の言葉を聞いていた。しかし、聞いた御言葉も彼らには無益だったと。御言葉が「信仰によって結びつけられなかった」ためだった。モーセは神の言葉を語った。聞く側に問題があった。信仰に結びつける事が大切だ。

種蒔きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ。道ばたに落ちた種は土が固く、心に入らずサタンが来て御言葉を奪い去った。先入観や偏見があると御言葉が入らない。又、他人事として聞く態度だ。この御言葉はあの人に、この人にピッタリだと。自分の事として聞かないなら、素通りしている。すると、サタンが持ち去り、聞いている「つもり」だが、実は何一つ入っていない。

御言葉は「自分に」向けられている言葉として受け取らない限り、無益だ。自分の事として受け取る心が「良い地」だ。必ず結実する。岩の上に落ちた種は、喜んで受け入れるが、根が無い。根を張るのは地中だ。隠れた神との関係を培う事が大切だ。人目に見えない神との交わりの地道な生活が根だ。それが無いなら枯れてしまう。

いばらの中の種は、外部から伸びたいばらにふさがれた。外部のものによって成長が妨げられる。世の様々な事柄に心が奪われ、いつしか神が二の次になってしまう。自分はどんな「聞き方」をしているか、省みてみよう。御言葉に心を照らされ、聞いた御言葉に従って行こう。
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御言葉にはいのちがある。聞くだけの者なら何も変わらない。今日、一つでも御言葉を自分の事として受け取り、自分自身を添わせ従ってみよう。御言葉により自分も、周囲も大きく変わって行く。