2012年03月31日(土)

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪に まさる」Tサムエル15:22



サウル王は、「アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはなら
ない」との命令を受けていた。しかし、サウルはアガグ王を生かしておき、家畜
の最も良いものを惜しんで残し、つまらない、値打ちの無いものだけを聖絶した。

これに対し、サムエルは、主が喜ばれるのは、いけにえを献げることではなく、
御声に「聞き従うこと」だと言った。「聞き従うこと」が、いけにえよりまさる
と。「聞き従うこと」は、へりくだりがなければ出来ない。プライドが邪魔をし、
自我が立ちはだかる。

聞き従うことは、同時に自我を砕いて従うことであり、自分に死ぬことであり、
そうでなければ従えない。そして、それは自分を変えて行くことであり、自分を
変えるのは、自我にとって痛いことだ。だから、なかなか従えない。良い行ない
をして、取って代えてしまう。しかし、聞き従うことは、いけにえにまさり、耳
を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」

イザヤの時代にも、「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう・・も
うむなしい献げ物を携えて来るな」と民に言われた。「聞け、主のことばを」と。
主は、いけにえを献げる熱心ではなく、へりくだって心を主に向け、御声に聞き
従う事を喜ばれる。自らの生き方を改め、自分が変えられて行くことを喜ばれる。

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主に仕えるのだが、主のみ思いや、主の示しを無視して、自分の思い通りに仕え
ようとする肉がある。主に仕えないのではなく、仕えているのだが、どこまでも
自分の思いが中心になる。主は私に何を願っておられるのか、御声に真摯に耳を
傾けよう。