2012年04月30日(月)


「・・そのために私は、高ぶることがないようにと、肉体に一つのとげを与えられました」Uコリント12:7

ギデオンの当時、イスラエルは絶えず侵略受け、苦しい状況であった。神はギデオンを立て、民を率いて、諸国と戦わせようとされた。呼びかけに三万二千人が集まった。しかし、相手は十三万五千人の大軍であり、圧倒的不利で、勝ち目はない。だが、神は不思議な事をされた。ギデオンに、兵士の数が多すぎるので、減らすように命じられ、最後にはたった三百人の兵士が残された。

その三百人で戦うや、ギデオンの大勝利に終わった。この時、神はギデオンに兵士を減らす理由として「大人数だと自分の手で自分を救ったと、自分を誇るから」と言われた。この戦いの勝利が人間ではなく、神の力によるものと明確にわかるよう、あえて兵士の数を減らされた。

私たちは、自分がもっと強ければと思うだろうか。しかし、もし強ければ、神の働きを自分が奪い、自分を誇り、自分の栄光にしてしまう。信仰的体験さえも、肉は誇る。パウロは、素晴らしい啓示を受けた。第三の天にまで引き上げられるという、まさに特別のものだった。パウロも、自分を誇る弱さがあり、それゆえ余りにも大きな特別な恵みに、高ぶる事がないように、とげが与えられたと言っている。

苦しく辛いとげであったが、それにより、高ぶりの罪から守られた。高ぶりからの守りは何と感謝な事だろう。そして更に素晴らしい啓示を受けた。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と。この世では誇れるのは強さだが、私たちは弱さを誇れるとは何という恵みだろう。
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自分の知恵や経験に頼れない状況で、神様のご栄光が明確にわかる体験をする時、神様のもとに心底へりくだらされる。自分の弱さを知ることが大きな祝福であり神様に頼れることが幸せだ。