2012年06月30日(土)

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」ルカ19:10



当時、民はローマ帝国へ高額の税金を納めていた。その徴税にはユダヤ人が当た
り、ローマへ納める額以上に取り立てて、私腹を肥やしていた。つまり同胞から
搾取していたため、同胞に裏切り者として軽蔑され、嫌われていた。

わかっていて、そのような職業に就いたザアカイは、取税人の頭に上りつめ、資
産家になり、求めていた地位も富も得た。しかし、それらは決して心を満たして
はくれず、孤独で寂しく、虚しい日々であった。

ザアカイは、真に心を満たしてくれるものを求めていた。主に会いたい一心で、
あの貪欲なザアカイが、自分を忘れ、主を求めて、木にまで登った。すると主は
「ザアカイ。降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まる」と、ザアカイの
心のすべてをご存じで、名を呼ばれ、罪人のザアカイを裁かず、責めず、受け入
れられた。

「あなたの家に泊まる」、あるがまま受け入れている愛であり、最大限の信頼だ。
「失われた人を捜して救うために来た」と言われたが、失われたザアカイを、捜
して救うために来られた。ザアカイが悔い改めたからでなく、主が来て下さった
から、ザアカイは自分自身の姿に気づくことができた。罪を知り、悔い改めるこ
とができた。

心から悔いて、財産の半分を貧しい人に施し、だまし取った物は4倍にして返す
と言った。富がいのちであったザアカイは、富の執着から解き放たれ、主がいの
ちとなった。主の愛に包まれ、虚しさが喜びに変えられ、生き生きと生きて行け
るようにされた。同じように、主はあなたの名を呼んで下さり、あなたの人生を
共に生きて下さる。

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主はザアカイの心の内を知っておられた。主は、主を切に求める心を見ておられ
る。主を求める心には、必ず応えて下さる。主が私を捜して下さったから、主に
出会えた。何と嬉しいことだろう。更に深く親しく主を知る日々でありたい。