2012年08月31日(金)

「私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたり・・」Tテモテ6:3


   
「健全なことばと敬虔にかなう教えに同意しない人」がいるならその人は「高慢」になっているとある。つまり高慢とは、御言葉に同意しない事だと言っている。普段、無意識かも知れないが、どうだろう。御言葉を聞く時に、横から自分の思いが入って来る。

「でも・・」「だけど・・」「そんなわけない」「そんな事あるはずがない」「無理」「そんな事言ってたら、世の中渡って行けない」「そんな事できない」「ちょっと厳しすぎる」「私はそう思わない」「ん?」等々、御言葉と同時に、自分の思いが入り、自分のメガネに合わない言葉は捨ててしまう。


自分に都合の良い、メガネに適う言葉だけを受け入れる。それも、自分の都合の良いように受け取る。それが「高慢」だと言っている。その自分の肉に従って行くと、肉の実を刈り取る事になる。高慢になると何一つ悟らず、御言葉に反して行く。

神を疑い、人を疑い、人がああ言った、こう思っていると、言い争いを起こして行く。そして「そこから妬み、争い、そしり、悪意の疑りが生じ」絶え間ない紛争が起きる。「満ち足りる」ためには、まずこの高慢を悔い改める必要がある。自分は御言葉を額面通りに受け入れているか、同意しているか、へりくだって聞いているか、心を探って頂こう。満ち足りる心は御言葉を素直に受け入れるところから生まれる。
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主の言葉は生きていて、み言葉によって私達はいくらでも変えられ、成長することができる。み言葉を素直に受けとり従う決心をしよう。否定的な自分の思いに同意していれば、いつまでも主にある平安を経験できない。