2013年01月31日(木)

「彼が目を上げて見ると、見よ。ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた」ヨシュア5:13 


モーセの後継者ヨシュアがリーダーとして立ち、約束の地カナンに入った。そしてエリコに近づき、これからエリコ陥落に向けて、民を率いて戦いが始まる。非常なプレッシャーと不安、恐れの中にいた事だろう。その時に一人の人が抜き身の剣を持って立った。

ヨシュアは驚き「私たちの味方か、敵か!」と問うた。自分を助けてくれるのか、それとも攻撃して来るのか。その人は敵でも味方でもなく「主の軍の将として来た」と言った。これはつまり、「あなたが軍の将ではなく、わたしが軍の将だ」と。

私達は、どうしても「自分」を中心に考えてしまう。「私の」信仰・・「私の」霊的生活・・「私の」奉仕・・、底が「私」なのだ。だから、「私の」味方か、敵かになる。しかし、そうではなく「主が」将であり、「主が」リーダーであり、その主の戦いを助けるのがヨシュアであり、私という事だ。

「私のための神」ではなく、「神のための私」だ。主が将でなく、自分が将となるので、あらゆる思い煩いと不安を背負う。「主が」将となりあなたの人生を導かれる。ヨシュアは伏し拝み「何を告げられるのですか」と問うた。私たちも、常に主に、何を告げられるのか、聞く事が大切だ。

主に「はきものを脱げ。聖なる地」だと言われ、ヨシュアは、はきものを脱いで、つまり自分を主に明け渡し、委ねた。そしてこの後、見事にエリコ陥落が成し遂げられ。自分の知恵や判断、力に頼らなかったからだった。
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問題の前で、決定権は握ったまま「主よ助けて下さい」と祈っている自分の姿を見せられる。主が主の方法で戦われる。明け渡せるよう、主の方法をよく悟れるよう祈ろう。