2013年02月28日(木) 「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになったのですか」詩篇13:1
「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになったのですか」詩篇13:1
「主よ。いつまでですか」ダビデは苦しみを、率直にそのまま訴えている。この苦しみは、いつまで続くのかと。「私に答えて下さい」と。ここには、「いつまで〜」が4度も出て来る。ぎりぎりの瀬戸際であった事だろう。私たちは、順風満帆の時には、神に愛されている、祝福されている、守られていると思える。受験は合格、畑は豊作、商売繁盛、家族は健康、それなら祝福、感謝と思える。 しかし、受験不合格、畑は不作、リストラ、倒産、家族のけがや病気の場合はどうだろう。祝福されていない、愛されていない、守られていないのだろうか。しかし御言葉によると、訓練は神の愛だ。「主はその愛する者を懲らしめ」愛し、受け入れているからこそ、むちを加えると。愛する我が子として扱っていると。 懲らしめが無いほうが心配だ。私生児かも知れない。先が見えない中で、信仰が鍛えられ、成長する時だ。私たちも今「主よ、いつまで」の状況だろうか。対人関係の悩み、経済的苦境・・。そのままの気持ちをダビデのように、弱さをさらけ出し、主に告げよう。 主ご自身もゲッセマネで、弟子に弱さを隠されていない。悲しみの余り死ぬほどで、一緒にいて欲しいと。私たちも弱いまま、率直に祈れる。祈りの後ダビデは「救いを喜びます。主に歌を歌います。主が豊かにあしらわれたゆえ」と大きな喜びと平安に変えられている。 ---------------- 苦しみの間中、その時々のつぶやきや不安や恐れを祈ろう。主に忘れ去られていると感じるのは、自分の感情でふさがり煮詰まっているからなのかもしれない。主と交わりながら試練をやり過ごそう。