2013年03月31日(日) 「夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に まとわれた・・弟子たちの足を洗って」ヨハネ13:4
「夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に まとわれた・・弟子たちの足を洗って」ヨハネ13:4
当時、足を洗うという事は奴隷の役目だった。そのため、主が足を 洗おうとされた時、ペテロは驚いてそれを拒んだ。決して洗わない で下さいと。この頃は今と違い、サンダルのようなはき物で、足が 大変汚れた。彼はその自分の汚い足を洗ってもらうなどと、申し訳 ない、とんでもないと思ったのだ。 しかし、主は、それを拒むなら、主と何の関係も無くなると言われ た。私たちはどうだろう。内側の自分の汚い部分、醜い部分は誰に 見せたくないだろうか。知られたくない。隠したいし、入られたく ない。自分で何とかしようとするだろうか。 しかし、主に洗っていただかなければ、主と何の関係も無くなって しまう。そして、そこでこそ、主との関係が深められる。日々犯し てしまう罪を悔い改める時、主はきれいに洗って下さる。しもべと なって仕えて下さり、それは十字架の死にまで至った。 イスカリオテのユダが裏切る事も、ペテロが裏切る事も、弟子たち が見捨てて逃げる事も、すでに知っておられた。それらをわかった 上での愛だった。「世にいる自分のものを愛されたイエスは、その 愛を残るところなく示された」。 私たちへの主の愛も、同様だ。正しいから、良い者だから、愛して 下さるのではない。醜くく、汚れて、自己中心、そんな事はすべて ご存じの上での愛だ。何という愛だろう。日々汚れた足を、十字架 の血潮で洗っていただく時、主との関係が深められて行く。 ・・・・・・・・・・・・・ どんなに醜く、どんなに自己中心か「そんな事はとっくにわかって いるよ、わかっていて愛している」と言われる主に、日々の生活で 汚れる足を洗っていただこう。それによって更に愛する主との関係 が深められて行く。