2013年05月31日(金)

「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです」創世記45:5


ヨセフは、父親から特別に可愛がられたがゆえに、兄たちからひどく妬まれた。妬みは憎悪となり、兄たちに隊商に売られ、奴隷としてエジプトに連れて行かれた。一人、親族から切り離され、異国の地で、どんな思いであったろう。しかし、エジプトで仕えた主人に認められ、何もかも任されるほど信頼を得るが、主人の妻の悪意により無実の罪で牢獄へ。奴隷から更に悪い囚人となった。

そこで10年の苦難を経た後、パロの夢を解き明かし、一転、総理大臣となった。そんな中、深刻な飢饉に、エジプトの穀物を求めて兄たちが来た。兄たちにはわからなかったが、ヨセフは一目で兄だとわかった。ヨセフは兄たちを試す。すると、以前自分を売った兄のユダが、今、目の前で、自分がベニヤミンの身代わりになると言う。自分が奴隷となるから、ベニヤミンを老いた父のもとへ帰して欲しいと。このユダを見た時に、ヨセフは自分を抑えきれずに号泣した。

そして自分はヨセフだと名乗った。ユダをここまで変えた神のみわざを見て、ヨセフは兄たちに売られたのでなく、神が自分をエジプトに派遣したのだと言った。赦しと愛が湧き上がった。それは、あなたがたの命を救うためと。この悲しみ、あの苦しみ、その時は辛いばかりで意味がわからない。しかし、信仰により待ち望む時に、ああ、このためだったと、神のご計画が現れた時、言いようのない感動と喜びが湧き上がる。
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神様が備えていて下さる祝福をどれだけ見逃しているだろう。辛い、痛いとしか思えない中を信仰の目をもって歩んで行くなら、必ず益として下さる祝福の答えをいくつも受け取ることができる。