2013年06月30日(日)

「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである」ヘブル12:6

小さな子供に危険がある時、親はどうするだろう。例えば、幾ら叱
ってもストーブを触ろうとする時、手をバシン!と思いきり叩くだ
ろう。触ると痛いという事を身をもって教える。又は、あえてほん
の少し触らせて、痛みを身体で知らせ、二度と触らないようにする。

これは子供が憎いからではない、子供を愛しているからだ。危険か
ら守るためだ。主も時に、私たちに同じ事をされる。幾ら言われて
も、聞かない時に、主は私たちを愛するゆえに、痛い思いをさせら
れる。

最初は頭コツンで、気づかずに、尚も心頑なにしていると、げんこ
つが来る。それでも気づかなければ、むちが来る。あなたもかつて
経験した事があるだろうか。痛みが来て初めて心砕かれて、御心に
従おうとし、従って来ただろうか。

御言葉を聞いて、素直に従う事ができればよいのだが、どうしても
従えない、従おうとしない。頑なな心がどうにもならない。懲らし
めは私たちへの愛だ。懲らしめによって、御心に従うことができて、
大きな祝福を体験して来た。

又、自己中心に、自分の思いで歩んで失敗する。祈らないで、事を
行ない失敗する。しかも、何回も同じ事を繰り返してしまう。手痛
い失敗を通して、主に従うことの大切さを身をもって教えられる。
懲らしめは、真の危険から私たちを守るためだ。放っておかれたな
ら、どうなっていたかわからない。

・・・・・・・・・・・・・・・
愛といえば、ほんわか暖かい心地良いものを連想する。痛い、辛い
事が愛の概念とリンクしない。しかしまず懲らしめは大きな主の愛
であることを認めて、受け入れよう。この価値観から変えられて行
くよう祈ろう。