2013年07月31日(水)

「子よ。あなたの罪は赦されました」マルコ2:5


ある父親が仕事だけに生きて来て、家庭を顧みることが無かった。子供が非行に走り、警察沙汰を起こした。全く子供に関わって来なかった自らの罪を、心から神の前に悔い改めた。心砕かれ、くずおれた。辛い苦しい刈り取りをして行った。ハードな仕事の上に、子供のための時間を作り、迷惑をかけた方面へ謝罪して回った。物品の損失をすべて償い、できる限りの事をした。

もう精神的、時間的、体力的に限界ぎりぎりだった。数年間の苦しみは並大抵のものでなく、子供の心のいやしをひたすら祈り続けた。親自身が悲痛なまでの苦しみの中で変えられた。今までの自己本位な歩みの間違いを正され、心砕かれ、神に従うように導かれた。主のあわれみは尽きず、切なる祈りは聞かれ、数年後、子供は立ち直る事ができた。その間、質的にも量的にも子供と十分に関わり、初めて心の通い合いが与えられた。

主のあわれみにより、破壊的な事態が益とされた。自らは裁かれて当然のひどい罪人だ、しかし、その裁きを、主は十字架上で代わりに受けて下さった。罪は完全に赦され、罪無しとして下さった。罪が赦されたという事実こそが、苦しい刈り取りを成し遂げさせてくれた。罪が赦されるとは、何にも代え難い恵みであり、何という心
の安堵だろう。
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誰に赦されても、神様に赦してもらわなくては本当の罪の解決はない。失敗し、罪を犯した者を「子よ」と、赦しに招いて下さり、心から悔い改める者に罪からの癒しを下さる。なんと慰めだろう。