2013年08月31日(土) 「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまり ます・・わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできませ ん」ヨハネ15:4
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまり ます・・わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできませ ん」ヨハネ15:4
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」枝は、ぶどうの木 に含まれていて、いのちを共有している。主がぶどう木の幹で、わ たしたちは枝という意味ではない。それなら別々になる。ぶどうの 木と枝はひとつだ。「わたしにとどまりなさい」とは、「わたしの 内に住みなさい」の意味だ。 素晴らしいホームが提供されている。家庭とは愛と安らぎ、親しみ に満ちた場所だ。最高にリラックスでき、緊張から解かれて、安堵 できる。ストレスからも心配事や不安からも守られる。自由に食べ て飲んで、休んで、お喋りし、泣いたり笑ったりして、憩える場所。 そこでは、あるがままに全面的に受け入れられていて、何より愛と 信頼がある。放蕩息子が父の家に帰ったが、これが救いだ。喜びと 安心、休息、憩いを取り戻した。家は、安堵と休みの場所だ。恐れ とは対極にある。 主イエスにとどまるとは、全き平安と喜びの中にいる事だ。もし、 恐れや不安、心配、思い煩いがあるなら、ホームから離れて迷い出 ている。主にとどまるとは、御言葉にとどまる事、御言葉を信じる 事だ。鍵は御言葉だ。 「あなたがわたしにとどまり、わたしの言葉があなたにとどまるな ら」とあり、信仰はオートマチックではない。常に「目の前の状 況」と「主の言葉」の二つが目の前にある。信仰とは、御言葉の方 を選び、握って行くことだ。 ・・・・・・・・・・・・ 思い煩ってしまう深刻な事態が目の前にあり、御言葉は「思い煩う な」と言う。この時、主にとどまるとは、御言葉にとどまること、 「思い煩うな」を選び取ることだ。その時、平安の中に守って下さ る。