2013年09月29日(日) 「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての 良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばか り与えることのできる方です」Uコリント9:8
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての 良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばか り与えることのできる方です」Uコリント9:8
ある牧師が、特別な出費がかさみ、経済的に極めて苦しい月があっ た。祈っていると全く想定外の収入があり、祈りの答え、主の導き と心から感謝した。すると、自分のひょんなミスから弁償する事に なったり、思いがけない修理の必要が出て、その収入のほとんどが、 またたく間に消えてしまった。 祈りの答えと喜んだのに、違ったのだろうか?これはどういう事な のか?主の御前に静まり、御心を求めて、祈りの時を持った。心に ある思い、疑問も、何もかもを、主に告げて祈っていた。その時に、 「与えなさい」との御言葉が臨んだ。 「でも、自分が困っているのに?」しかし、「献げなさい」との、 はっきりとした主の示しだった。決心して、貧しい中から、信仰に よって主に献げものをした。すると、不思議が起きた。指定献金が 献げられて、又、想定外の収入があり、必要がすべて溢れるばかり に満たされた。 イサクも飢饉の時に種を蒔いた。信仰による種蒔きだった。すると 百倍の収穫を得た。飢饉の時など、土地は荒れて、収穫など絶対に 望めない。まず種が無駄になり、種すらすべて失ってしまう。状況 を見るなら、恐れてとても献げられない。しかし、信仰によって献 げる時に、百倍の収穫を得る。 御霊に導かれる時に、恐れて蒔かなければ、収穫も、神を知る喜び も無い。私たちは何のために生きているのだろう。貯えるためか、 それとも主の御声に従い、愛であり、全能であり、真実である主を 親しく知って行くためだろうか。そして神の栄光のためだろうか。 御声があれば、御霊の導きに従おう。大きな祝福にあずかれる。 ・・・・・・・・・・・・・ 御霊の導きに従って、献げて行く時、「常に」「すべての事に」 満ち足りて、「良いわざにあふれる」者として下さる。祝福の上に 更に祝福を経験する。従ってみなければわからない。御霊の示しに 従おう。心が喜びに満ちる。