2013年10月31日(木)

「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:13



「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えます」何年、何十年ク
リスチャンであったとしても、肉にある時には、怒りを爆発させ
たり、攻撃的になったり、人を傷つけてしまう。妬みや、恨み、
貪欲、虚栄心でいっぱいになる。どこがクリスチャンかと思える
状態だ。救われているが、肉にある時は、生まれつきの性質その
ままが出て来る。リトマス試験紙で、検査する時のように、肉に
従っている時には、肉の反応がそのまま出る。

裁く心、批判、憎しみ、優越感、高ぶり、妬み・・が出ている。
又、心配、不安、思い煩いで悶々状態になる。この肉は、自分の
力ではどうする事も出来ない。そのまま主に持って行こう。「今、
妬んでいます」「憎んでいます」とそのまま主のもとへ行こう。
その自分を主に明け渡して行く時、御霊に導かれて行く。

「御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考える」、御霊の
支配下にある時、自然に主に従って行きたい、従うにはどうした
らよいかと考えるようになる。主を愛したい、人を愛したいと思
う。愛さねばならない、〜ねばならないではなく、自発的に、自
由意志で愛したいと思うようにされる。そして主を信頼して行こ
うと思える。

どうやっても肉で出来なかった事が、出来るようにされる。これ
は御霊の働きだ。自分には出来ない事を認めて、明け渡して行く
時、思いが変えられ、自分が変えられ、御霊の力を経験して行く。
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信仰生活が長くなると肉の反応をそのまま表には出さないように
出来るが、思いは依然として肉の奴隷だ。我慢できず「主よ!」
と叫べる日は感謝だ。全ての肉の思いを主に渡し、主に導かれる
開放感に満たされて行く。