2013年11月30日(土)

「だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で 一番偉い人です」マタイ18:4 

   

弟子たちが主に質問をした。「天の御国では、だれが一番偉いので
しょうか」弟子たちはどんな答えを想定していたのだろう。世の価
値観なら、最も能力がある人、最も主のために働いた人、最も善行
をした人、多くの部下を持ちトップに立つ人だろうか。

その時に、主は小さい子どもを呼び寄せ、子どものようにならない
限り、天の御国に入れない。子どものように、自分を低くする者が
一番偉いと言われた。子どもの一番の特徴は無力だ。子どもは自分
が全く無力な存在だと知っている。

親無しには、生きて行くことができず、食べる事もできないことを
知っている。完全に親に頼っている。大人は自分で生きて行けると
思っている。自分の力で何でも出来ると。大人は高慢だ。

又、弟子たちは内心自分が一番偉くなりたいと思っている。一番重
要人物でありたい。一番が良いとの価値観だ。弟子たちのそんな考
え方を「あなたがたも悔い改めて、子どものようにならない限り、
御国に入れない」と。

価値観、考え方自体が問題で、「悔い改め」は向きを変えなさいと。
子どものようになるとは、自らの無力を認め、自分を低くする、へ
りくだることだ。実は無力を知ること、弱さを知ることこそが、最
大の恵みだ。無力を知っている人は神に頼る。子どもが完全に親に
頼りきって全き平安でいるように、主に頼りきって平安だ。無力や
弱さは神と結びつく。

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「誰が一番偉いか」という価値観を悔い改めて、方向変換すること
が自分を低くすることだ。へりくだらなければ、主の御心の一つも
実行できない。自分には出来ないこと、無力であることを認めて、
主に拠り頼む時に、主の力によって御心が成し遂げられて行くこと
を見る。