2013年12月31日(火)

「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」マルコ11:25



「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」と、信じて祈る時、素晴らしい約束が与えられている。しかし、赦す事が強調されている。赦さない心は祈りを妨げる。神があなたを赦して下さったのだから、恨み事のある相手を赦しなさいと。

私たちは、失敗する者だ。しかし神は豊かに赦して下さっている。罪を犯してしまうが、赦されて生きている。それゆえ、私たちも赦すべきだと。まず恨み事や憎しみ、赦さない心があると、祈れなくなる。主と私たちの間に、へだたりができてしまう。すると、確信もった祈りができなくなる。あなたも経験あるだろうか。

ある人が、切実な必要があり、祈っていた。しかし、幾ら祈っても答えが無い。すると祈りの中で、ある人に対し、恨みと憎しみ、苦々しい思いを持っている事を示された。これが祈りを妨げている事がわかり、悔い改めて赦した。赦すという事は、赦せるからそうするのでなく、決意だ。赦す決心であり、赦す事を選択する意志だ。意志の問題だ。感情に依存してたなら一生赦せない。

その後、見事に祈りが答えられた。赦さない心は、祈りを遮断する。祈りの答えを受け取るために、密かな恨み、赦さない心がないかどうか、御霊に探って頂こう。妨げが取り除かれる時、平安が与えられ、すでに受けたと信じる事ができ、その通りの答えを得る。

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今年1年も感謝でした。係が海外宣教地訪問等々のため、申し訳ありませんが5日までお休みし、6日から年始の配信をさせていただきます。新年の祝福をお祈り致します。