2014年06月30日(月)

「しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます」マタイ13:21 


 
「御言葉を聞くと、すぐに喜んで受ける」そして、従おうとするが
続かないで、つまずいてしまうとある。今の私たちには、信仰ゆえ
に、笑われたり、のけ者にされる事はあるかも知れないが、初代教
会のように、即、投獄や命にかかわるというような迫害はない。し
かし、御言葉に従って行く上の困難は経験する。

「家族や周囲の人々を愛して行きたい」「熱心に仕事をして行きた
い」「嘘はつかないでいたい」「怠惰な生活を止めたい」「短気な
ので、自制して行きたい」・・様々な決心をして、信仰生活をして
行く。しかし、薄い土の下に、強固な岩である自我がある。岩にさ
えぎられ、根が下へ張って行けない。

自我が邪魔をして、御言葉に従って行く事が出来ない。つまずいて
しまうとは、行なう事は無理と、主を信頼して実行する事を止めて
しまうことだ。困難がある時に、途中でストップしてしまう。自我
の方が勝ってしまう。岩にぶち当たって、根が、根差す事ができず
に枯れてしまう。

そうではなく「主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、
善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられる」ことが主
の御心だ。従う事を止めるのでなく、「出来ません。助けて下さい」
と、主に拠り頼んで行く時、御霊の助けがあり、自我が砕かれなが
ら「善行のうちに実を結ぶ」者とされる。
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御言葉に従おうとすると「やはり駄目だ」との声が聞こえる。主が
取り成して下さるにもかかわらず、自我や状況が大きく見えてしま
う時は、あきらめず祈ろう。前進を阻む自我にぶつかれば悔い改め
ればいい。主と共に、実を結ぶための歩みを続けよう。