2015年01月31日(土) 「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものである ようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわか ります」コロサイ4:6
「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものである ようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわか ります」コロサイ4:6
「親切」という言葉が、別訳では「恵みに満ちた」となっている。 口から出る言葉が、愛から発しているように。そして「塩味のきい た」とは、真理である御言葉が土台となった言葉だ。人は自分に都 合の良い言葉を聞きたい。 「自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをも って・・真理から耳をそむけ」の通り、それは、肉には非常に心地良 い言葉だ。しかし、人の肉を喜ばせる言葉なら、塩味のない言葉に なってしまう。それは、相手にへつらい、相手に都合の良い、真理 から離れた言葉になってしまう。 だが、塩味のきいた言葉は、真理に基づいた言葉だ。それは、時に は厳しい言葉かも知れない。「あからさまに責めるのは、ひそかに 愛するのにまさる」しかし、それは真に相手のためである言葉だ。 そのためには御霊に導かれ、御霊の判断が必要だ。祈らなければ、 発することができない。 祈りながら、言葉をかける時に、御霊が教えて導いて下さる。又、 塩味のききすぎる言葉もある。全面的に正しいのだが、そこに愛が 無い。律法主義に陥ってしまう。正しいだけに、反論が出来ない。 正論は、相手を追い詰めてしまう。経験あるだろうか。言われてい る事は正しいのだが、心がどうしても動かない。心が苦しくなって 固くなってしまう。 御霊によって、語るべき言葉を口に授けられるよう、祈って行こう。 御霊の言葉は人を励まし、慰め、建て上げる、 ・・・・・・・・・・・ 「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守って下さ い」。言葉は一度出てしまうと、取り戻せない。建て上げるのも、 壊すのも言葉だ。御霊に導かれた言葉を出すことができるよう、 心が御霊に支配されるよう、祈ろう。