2015年02月28日(土) 「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのち を少しでも延ばすことができますか」マタイ6:27
「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのち を少しでも延ばすことができますか」マタイ6:27
「明日のことについて、思い煩うな、心配無用」と言っておられる。 これは、将来について準備したり、考えたりしてはいけないという 事ではない。それは大切な事であり、必要だ。しかし、不安や思い 煩いは、いっさい必要無いと。 私たちの心配は、「もし〜」から来ていないだろうか。もし、ああ なったら、もし、こうなったら、「もし病気になったら」「もしリ ストラになったら」「もし経済的に困窮したら」幾つもの架空の 「もし〜」で思い煩い、恐れている。しかし、主は「空の鳥を見よ、 野の花を見よ」あなたがたの天の父がすべての必要をご存じで、養 っていて下さるのだと。 又、目の前の事柄の思い煩いもあるかも知れない。仕事の問題や、 対人関係の思い煩いだ。なぜ、人は思い煩うのだろう。自分の思い 込みによって、最悪のシナリオを描く。明日はこうなり、将来はこ のようになり・・と思い込んでしまう。 又、仕事の問題、対人関係の悩みを、ネガティブに考え、ああでも ない、こうでもないと、心がちぢに乱れ、分割、分裂してしまう。 思い煩いとは心が分裂することだ。分裂状態から、一つに心が定ま る事が必要だ。 それが「神の国とその義とをまず第一に求めよ」だ。主の支配を求 め、自分を主に委ねて行く時、様々な思い煩いから心が守られる。 神第一の歩みをして行く時に、「そうすれば、それに加えて、これ らのものはすべて与えられます」生活の必要はすべて与えられる。 ・・・・・・・・・・・・ 「もし」から最悪のシナリオを描き、真っ暗になるが、それは全然 起きていない事であり、亡霊だ。嵐の湖上の出来事のように、向こ うから来るのは愛なる主だ。「しっかりしなさい。わたしだ。恐れ ることはない」と。