2015年03月31日(火) 「自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます」ヤコブ1:25
「自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます」ヤコブ1:25
聞いた御言葉を実行する時に、初めて実を結ぶ。聞くだけで、実行 しないなら、自分を欺いていると言っている。まず御言葉の聞き方 はどうだろう。自分の事として聞かず、他人事、傍観者として聞い てしまう。あの人に、この人にぴったりだった・・。種蒔きのたと えの、道ばたに落ちた種だ。 自分に語られた言葉として受け取らないなら、心に入ることがない。 又、この御言葉はもう知っている、との態度で聞く時にも、頭で聞 いているので、心に入らず、とどまることがない。サタンが種を奪 って行ってしまう。種が根付かない限り、実を結ぶ事は決して無い。 私たちの聞き方はどうだろう。他の事を考えながら、御言葉を聞い ていると、右から左へと何も残らず流れてしまう。サタンの妨害だ。 サタンが次ぎから次へと思いを吹きつけ、御言葉を入れさせない。 よく祈って御言葉を自分の事として受け取る時に、御霊の助けのも と、心に入って来る。その聞いた御言葉を、聞くだけで実行しない なら、「生まれつきの顔を鏡で見る人のよう」だと。 鏡で自分の顔を見て立ち去ると、すぐに忘れてしまう。御言葉は鏡 であり、自分の本当の姿を映し出す。罪を示し、見えない心の動機 を映し出す。しかし、そこで実行せずに立ち去ってしまうと、必ず 忘れてしまう。そこで悔い改めることが、御言葉を実行することで あり、その時に、確実に成長して行く。その行ないによって祝福さ れる。 ------------ そうだ、その通りだ!と思うことと、実行することの間に大きな開 きがある。いつもの生活の中に、一つの御言葉を実行しようとすれ ば、どれだけ主に頼らなければできないか。それを知れることも祝 福となる。