2015年04月30日(木)

「これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります・・私のことばは、その時が来れば実現します」ルカ1:20



バプテスマのヨハネ誕生について記されている。ザカリヤは祭司で、
エリサベツもアロンの家系で、夫婦共に神に従う人であった。しか
し自分たちにはどうにも出来ない大きな悩みがあった。ずっと祈っ
ていた事だろう。エリサベツは不妊で、夫婦共に老齢であった。
そんな時に、突然、主の使いが現われ「あなたの願いが聞かれた」
と告げる。

妻に男子が与えられ、その子はイスラエルの人々を神に返らせ、メ
シヤのために道を備えると。驚くべき事で、大きな喜びだ。子ども
が与えられる、そして待ち望んだメシヤがもうすぐ来られると。
しかしザカリヤは信じる事ができなかった。状況を見るに、不可能
であり、何によって信じれるのかと。すると彼は口がきけなくなっ
た。

私たちも、神の言葉と状況が相反する時に、信じられないだろうか。
しかし、奇跡はいつも「不可能」の土壌で起きる。不可能の状況で
起きるからこそ、奇跡だ。主はザカリヤを黙させられた。彼はその
期間、主を見上げ、主の言葉に思いを馳せ、握りしめ、反すうした
事だろう。信仰へと導かれて行った。

子どもが生まれた時に、主に従い「ヨハネ」と名付けるように伝え
た。その途端に「彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるように」
なった。「名をヨハネとつけよ」の主の命令に従った時だった。そ
して彼は「神をほめたたえた」。主がザカリヤを助け、彼の上にも
みわざをされた。
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状況や自分の努力で少しでも見込みがあることを信じてしまう。そ
のような不信仰な者だが、主のご栄光を拝し、主を賛美し感謝した
経験は、全てが不可能な土壌でのことだった。