2015年07月31日(金)

「兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであ自分がどこに行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです」Tヨハネ2:11  




光の中にとどまるなら、決してつまずくことがないと言っている。
人がつまずくのは、光の中にとどまらないからだと。兄弟を愛する
ことが光の中にとどまることだと。「光の中にいると言いながら、
兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいる」やみの中にい
るしるしは、兄弟への批判、非難、悪口、憎しみだ。

兄弟への憎しみがあるなら、私たちはやみの中にいる。幾ら、自分
は光の中にいると言っても、御言葉がやみの中だと言っている。逆
に、兄弟を愛して行くなら、やみの中にはおらず、光の中にいると。
光があるからこそ、罪がわかり、悔い改めることができる。その悔
い改めた罪は、完全に赦されて、前進して行ける。

気持ちが暗くなる時、どうしても目に見える相手や環境のせいだと
思ってしまう。嫌な相手、嫌な環境のために憂うつで、喜びがなく、
心が暗いと。相手がいなければ、この環境でなければ、どんなにか
平安なのにと。しかし、実のところそれは原因ではなく、自分と主
との関係が原因だ。人や状況が、あなたと主との関係を遮断する事
など不可能だ。

問題は、目が、主ではなく、主以外のものに向いているところから
来る。自分に向き、自分を守ろうと、人の評価や人から認められる
こと、賞賛を求めていたりする。心が主以外のものに向いている時
に、必ず不平不満、愚痴、妬み、敵対心が出て来る。やみの中にい
るからだ。「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれ
るのです」、目を主に向ける時、光の中だ。
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嫌な相手や環境によってすぐに平安がなくなる、だから主に祈り、
すぐに主に助けを求める。主との関係がいつも豊であることが守り
だ。感情次第でどこに行くか知れない弱さにあっても光の中だ。