2015年09月30日(水)

「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私のとがを隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました」詩編32:5



私たちが主を信じた時に、御霊が内住された。しかし肉の性質が取
り除かれるのではなく、御霊の願いと肉の願い、どちらもが強く働
き、私たちを引っ張る。激しい戦いを経験する。私たちはクリスチ
ャンになったからと言って、自動的に罪を犯さなくなるのではない。
むしろ罪がどんどんわかるようになる。信じる前より、自分の罪深
さをますます知る。御霊の働きだ。

二つの性質がある事で、悩む必要はない。地上にいる間、二つの性
質がかっとうして成長して行く。光があるから罪がわかる。暗闇の
中で、黒点は見えない。光である主に近づけば近づくほど、罪がわ
かり、自分の肉の部分がはっきりと見えて来る。御霊により初めて
闇がわかる。

ある人は隠れた罪があった。ずっと心は苦しく悶々としていた。肉
は強く、そこにサタンも働いてくる。苦しくて、牢獄に囚われの身
のようだった。「一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てた」「私
の骨髄は、夏のひでりでかわききった」。とうとう主の御前に告白
し、悔い改めた。「あなたは私の罪のとがめを赦されました」。

赦された平安が心に広がった。そして勇気が要ったが、迷惑をかけ
た相手にも謝罪した。その時、心に踊り上がるような喜びを経験し
た。あれほど苦しかった心がすっきりした。心の闇が消えた。御霊
は罪を示され、悔い改める時、その罪は完全に赦され、自由にされ
て行く。そして主の似姿へと変えられて行く。
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主を知る前には意識しなかったような罪がどんどん見えてくる。そ
れも赦されていると信じるなら、主の前には正直でいよう。そのた
めにも、いつも主との満つな交わりの時を大切に守っていよう。