2016年04月30日(土) 「私は苦しみの中に主を叫び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。 主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御 耳に届いた」詩篇18:6
「私は苦しみの中に主を叫び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。 主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御 耳に届いた」詩篇18:6
私たちの信仰人生では、「主は何と素晴らしい」と賛美できる時ば かりではない。苦しくてたまらない時、悲しみのどん底の時、辛く てしんどいばかりの時もある。主はどうして助けてくれないのか。 本当に愛してくれてるのか、主はちゃんと見守ってくれているのか、 苦しい状況は何も動かないし、何も変わらない、本当にわかってく れているのか、そう思える時もあるかも知れない。 だが、主は、私たちのその苦しみ、悲しみのただ中に共におられる。 常に共におられる。詩篇記者は、そんな時、決してわかった振りや、 信仰深い振りをしていない。あるがままの気持ちをそのまま、主に 向かって心底叫び、訴えている。 「主よ、いつまでですか」「なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなの ですか」「苦しみの時に、なぜ、身を隠されるのですか」「なぜ、 私をお忘れになったのか」「なぜ私を拒まれたのか」「私は嘆きで 疲れ果て、私の涙で、夜ごとに私の寝床を漂わせ」「私のいのちは 悲しみで尽き果てました」「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく」 「私の霊は衰え果てる」「私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の 苦しみを御前に言い表わします」と。 率直に、建前を振り払い、本音で、主に叫び、ぶつかって行ってい る。そして、何もかもを訴えた後、詩篇の各箇所で、「あなたの救 いを喜びます」「主に歌を歌います」と、主への賛美に変わって行 く。心底の気持ちを受け止めてもらうからこそ、賛美へと変えられ る。 ・・・・・・・・・・・・ 辛い時、悲しい時、苦しい時、我慢せず、心の底に抑え込まず、率 直に、「辛い」「悲しい」と主に告げよう。心の底のどろどろを主 に聞いていただく時、不思議だが心は平安になる。聞いていただい た、受け止めていただいたことで、心に安堵が来る。