2016年06月30日(木)

「ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください」ピリピ4:2


ピリピ教会には、不一致の問題があった。外部からの迫害もあり、
どうしても内部の一致が必要であった。しかし、一致を保ち、志を
一つにして行けるとある。それは「キリストにあって励ましがあり、
愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがある」か
らだと。

教会の一致を妨げるものが、「何事でも自己中心や虚栄からするこ
となく」の通り、「自己中心」と「虚栄」だとある。自己中心は、
「私は」「私の」「私を」であり、「私」「私」「私」だ。「私の
考え」「私の気持ち」「私の意見」・・それが重んじられず、受け
入れられなければ、争いが生じ、分裂となる。「虚栄」とはプライ
ドであり、自分が認められたい、特別であることを認められたい。

そして、一致に必要なものが「へりくだり」だ。それは「互いに人
を自分よりもすぐれた者と思う」ことで、「キリスト・イエスの思
いを、思いとして行くこと」だ。私たちは皆、自分のメガネと物差
しを持っていて、自分の思いに固執する。そして自分の利益だけを
求める。これが妨げとなり、相手の姿を正しく見ることができない。

これを捨てる時に、偏見と独断が除かれ、初めて相手の立場に立ち、
相手を理解して行ける。主は、神であられたのに、神の栄光、特権
の何もかもを捨てられて、ご自分を無にして、来て下さった。そし
て十字架の死にまで従われた。自分には出来ない事を認め、聖霊に
導かれる時、主の心を心として歩ませて下さる。
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百人百様に主張したい「私」はいても、主の御心を、主のためにと、
同じ主を仰ぐ教会に在っては互いに認めあい祈りあいたい。自分の
気付かない弱さも、誰かがカバーし必ず祈ってくれている。