2002年06月30日(日)

「あすのための心配は無用です。あすのことは明日が心配します」(マタイ6:34)


 一人の婦人が転んで、足を骨折して
しまった。高齢のため完治には、かなり
の日数がかかると予想された。
彼女は医師に、どれくらい長くかかるの
かと質問した。
医師は答えた「一日ですよ!一日一日頑張
って行きましょうや」と答えた。
主は言われた。明日の心配は無用。
その日一日生きれば良いのだと。
どんな境遇の中でも、一日なら生きる事が
出来る。私達のほとんどは起こりもしない
事を心配し、思い煩い神経をすり減らす。
無駄なだけでなく有害だ。ある婦人は夜勤
のあるフルタイムの仕事の中、病に倒れた
母親を引き取る事になった。
時間的に体力的に不可能に思えた。
しかし、環境はどうにもならない。
彼女は祈り、み言葉に従って、一日だけ!
生きる事を実行した。今日一日だけ生きれば
良いのだ。主に頼り、祈りつつ一日を生きた。
すると、周囲から思いがけない助けがあり、
母親の回復まで全面的に守られた。