2016年09月30日(金) 「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」マタイ11:28
「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」マタイ11:28
口を開けば、愚痴、不満が出て来る人々がいるだろうか。周囲は、 いつも愚痴を聞く事になる。そんな人はどんな環境にいても、必ず 不満が出る。「あの人の顔を見るのも嫌だ」「あの上司さえいなけ れば」「家族がかまってくれない」「忙しくてうんざりだ」「時間 が無い」「相手が配慮してくれればよいのに」「身体が弱くて」・・ 不満を探し出してはつぶやく。 しかし、完璧な環境にいる人など一人もいない。生い立ちの不満は 多々あるが、しかし完全な親も一人もいない。状況だけを見ると、 それがどんどん膨らんで、不平不満でいっぱいになる。「何で自分 だけ」「自分ばかりが」・・、自分、自分になって、自分は可哀想 と、自己憐憫に陥る。 状況と自分を見ている時、神が飛んでいる。神が無いので、状況に 押しつぶされそうになる。心は落ち込み、暗く、沈む。すべてが自 分の肩にかかり、自分が何とかしなければと思うので、ますます苦 しくなる。「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに 来なさい」との言葉通り、主のもとに行く事が答えだ。まず、心の 内の何もかもを、あるがまま打ち明けて、祈ろう。 主と交わる時に、主に触れる時に、次の展開へと導かれる。悔い改 めに導かれたり、又、神視点で見るように変えられ、状況は変わら ずとも心に平安が来る。又、もし御心なら状況も変えられる。まず 主のもとへ行こう、「愚痴」も主に向けるなら「祈り」だ。その祈 りから、次の展開へと、一つ一つと教え導かれて行く。 ---------- 主につぶやくならそれは祈りとなり、御霊の促がしによって主のお 心に触れる。不思議に心は立ち上がる。その繰り返しだ。心の重荷 に気付いたら主と過ごそう。主にすがろう。