2017年03月31日(金) 「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです」ガラテヤ5:6
「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです」ガラテヤ5:6
福音を伝える時に、議論になってしまった経験があるだろうか。議 論になるや、平安が失せてしまう。議論になると、自分の正しさを 懸命に主張しようとしてしまう。肉は、何とか相手をねじ伏せ、自 分が正しい事を証明したい。すると攻撃的になってしまう。これが また相手の攻撃性を触発してしまう。 いつしか神の正しさでなく、自分の正しさに立っての自己主張にな ってしまい、それこそ福音でなくなってしまう。神から離れ、愛な どとは、ほど遠いものになる。無意識に陥ってしまう。正しく、正 論なのだが、愛を全く感じないということになり、実は神から離れ た自分の正義を振りかざす事になってしまっている。 ある人が郷里に帰り、自分の妹に熱心に福音を伝えた。救われて欲 しいという熱心なのだが、何とか妹を説得したいばかりで、威圧的 になり、うまく行かなかった。次に、数年後に、帰省した。その数 年間に、姉には様々な厳しい苦しい試練が臨み、心砕かれる日々だ った。次の帰省では、しみじみと妹と交わっただけだった。 だが妹が言った。「以前のお姉ちゃんは嫌いだった。でも、今のお 姉ちゃんは嫌いじゃない。好きだよ。話を聞きたい」と。驚いた。 神の正しさを笠に着て、あたかも自分が正しいと勘違いしていた、 自分の姿を見せられた。方向を間違ってしまう。神の正しさは、常 に愛に基づいている。 ------------- 自分が、自分がとの自己主張で逆にかけ離れた律法を伝道をしてい た苦い経験がある。恐ろしい緊張感を伝えてしまう。自分の義にも 支配されない神から与えられた愛をいつも手放さずにいたい。