2001年01月31日(水) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分の十字架を負いそしてわたしについて来なさい」 マルコ(8:34)
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分の十字架を負いそしてわたしについて来なさい」 マルコ(8:34)
富める青年がイエス様のもとに来たが、イエス様より財産 を選び、イエス様のもとを去ってしまった。 私建ちのある者は、この青年と似ているかもしれない。 私達は毎週礼拝に出席し、多くの奉仕をし、よい行いをし、 人々の間で、よい評判がある。しかし、これで十分なのでは ない。富める青年と同様、私達にも妨げとなるものがある。 彼は富みの不誠実だった。私建ちには、高慢、自慢、わがまま 妬み、欲望、偽り、不正直があるかもしれない。 こんな状態では永遠の命を受け継ぐのにふさわしくない。 私建ちをさえぎるものをすべて捨てて、十字架を負って キリストに従う事が必要だ。青年の間違いは、彼を罪に 落したのは、財産を手放す事を考えるのさえ気が進まなかった 事だ。富みへの執着のために主に従う機会を投げ捨て正しい 人生を破滅させてしまった。 あなた自信もあなたの所有物の権利もキリストにお献げしたか。 妨げている物は何か。