2017年09月30日(土)

「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生か します」詩篇119:50 



ある人が、若くして神学校を卒業し、意気揚々と地方の教会に赴任
した。主のためにと、全力を尽くそうと、気合い満々だった。しか
し、すぐに現実にぶつかった。田舎で、なかなか人が来ない。新し
い人が来たと喜ぶと、すぐ去り、続かない。意気消沈してしまう。
そして今までいた人も、うまく導けずに、去って行く人が続いた。

問題がからまり、分裂のようになり、非常に苦しい状況に陥った。
自分がうまく導けないせいと、自分を責め、ひどく落ち込んだ。そ
んな中でも、信頼のおける人がいて、支えになっていたが、問題が
こじれ、その人も去ってしまった。多大のダメージを受け、沈み込
んだ。それに加えて、経済的苦境が臨み、経済的にも行き詰まって
しまった。

もう何もどうにもならず、気力も失せて、ぼう〜と日を過ごしてい
た。祈る気力も無い中、パラパラと御言葉を見ていた。読むのでな
く、御声を聞こうとするのでもなく、ただぼんやり見ていた、とい
うのが正直なところだった。しかしそんな中で、「不妊の女よ」と
の言葉が、心に語りかけとなって入って来た。「喜び、歌え」と。

自分と重なり、「不妊の女」が自分の事だと思えた。え?喜べ
と??「あなたは右と左にふえ広がり・・荒れ果てた町々を人の住む
所とするからだ」。まさにどん底の中で、御言葉の真の力を経験し
た。御言葉が霊であり、いのちであり、真に人を生かす力であるこ
とを。御言葉により、今一度、主に向かって、顔を上げることがで
きた。内に力が来て、立ち上がらせられた。

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苦しい状況で、心は重く沈み、気力も失せ、何もどうにも出来ない
時がある。そんな中で、神の生ける言葉が、光を放って臨んで来る
事を経験する。パンだけでなく、真に神の言葉によって生きる事を
知る時とされる。御言葉は新しい力を与え、再び立たせてくれる。