2017年10月31日(火)

「民が角笛の音を聞いて、大声でときの声をあげるや、城壁がくずれ落ちた」ヨシュア6:20


カナンに入り、難攻不落のエリコの城壁を陥落させるために、主は
不思議な方法をヨシュアに示された。黙って、一日一回町を回り、
七日目に七度回って、大声でときの声をあげよと。常識では考えら
れない方法だった。しかしその通りに従い、最後に時の声を上げる
と、城壁が崩れ落ちた。奇跡が起きた。

見える状況に沿って対処するのでなく、主からの言葉を受け取り、
信仰持って、その通りに従うと、主のみわざを見る。つまり、私達
が主の奇跡を見るのは、自分の方法で、事をするのでなく、どこま
でも御声を聞いて信じて従った時だ。目に見えるところは凄まじい
力がある。サタンは目に見えるところを見せて、恐れさせ、思い煩
わせ、失望落胆させる。

私たちは、いつも見えるところを見て、それがすべてとなり、心囚
われ、支配されてしまう。思い煩い、不安にさいなまれ、落ち込む。
しかし、信仰は、見えるところでなく、御言葉の方を真実とし、御
言葉の方を選び取る。見えるところでなく、御言葉の方を信じる。
見えるところと正反対、常識に合わなくとも、経験値と違っても、
御言葉に従うことだ。

すると、「神が」城壁を崩される。常識であり得ない事が実現する。
今、示されている御心があるなら、御言葉を信じて、一歩を踏み出
そう。御言葉の通りに成就する。見えるところでなく、御言葉の方
を選び、信じて行こう。これは自分がどちらを信じるかの選択だ。
“確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩
んでいます。
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信仰によって御言葉に希望を持とうとすると必ず不信仰な思いも露
にされる。いつもその戦いだ。常識や経験ではとても信じられない
かも知れない。けれど主の御言葉が成る。主の栄光を待ち望もう。