2017年11月30日(木) 「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した・・しかし真理を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:20
「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した・・しかし真理を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:20
「人々はやみを愛した」とある。人間の古い性質は、罪が悪だから 憎むのではなく、そうではなく罪を愛すると。肉とは、したくない が、罪を犯すのではなく、そうしたくて罪を犯している。誘惑に乗 ってしまうのは、誘惑を拒絶するのでなく、本当はその誘惑の中に いたい。誘惑は甘くて心地良い。 誘惑が苦いなら、誰も誘惑になどかからないし、こんなに問題にな らない。誘惑は甘くて、心地良くて、ずっとそこにいたい類のもの だ。闇を愛する罪の性質だ。欺きに陥らないために、「できない」 のでなく「したくない」自分であると認める事が大切だ。闇を愛す る性質が、自分の内にある事を認識しておく事は重要だ。 又、自分は見える、わかっていると言うなら、光を拒む事になる。 見えない事を認めない。「実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、 盲目で、裸の者であることを知らない」、光を拒むなら、暗闇の中 で見えるのは自分だけだ。自己中心の世界の中で、自分は正しく、 相手が悪いとしかならない。 真理を行なうとは、自分の罪を認める事だ。自分を正当化し、人を 裁き、闇から抜けるには、光のある所へ出る事だ。相手を責める者 である事を認める事だ。その時、その人は光に出るので、神が見え る。神が見えるので、自分の姿がはっきりと見えて、悔い改める事 ができる。全き赦しを与えられ、新しくされる。 今、自分が正しいとしか見えないなら闇の中だ。光は、正しいと思 っているあなたの真の姿を照らし出す。神の前でのみ本当の自分が 見える。それは光の中であって、大きな恵みだ。 ------------- 無意識でも罪は犯せるが、意識しないと罪を拒否する事はできない。 それほどに罪を愛する者との認識は大切だ。闇もあるが真理の光も 知っている。主に頼る光の中は何と恵みだろう。