2018年01月31日(水)

「蛭にはふたりの娘がいて、『くれろ、くれろ』と言う」箴言30:15


「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、愚かで、有害な多
くの欲に陥る」とある。富を手にしても、又幾ら貯えても、決して
満足する事がない。飽くことなく更に求める。これは富ではなく、
「貪欲」という肉の欲に陥っているからだ。必要が満たされていて
も、心には決して満足がなく、尚も、どこまでも富を渇き求めて行
く。

「蛭にはふたりの娘がいて、『くれろ、くれろ』と言う。飽くこと
を知らないものが、三つある。いや、四つあって『もう十分だ』と
言わない」。果てしなく「くれろ、くれろ」と言い、欲望には際限
がない。「金持ちになりたがる」とは富だけでなく、名誉、地位、
人からの賞賛、人の上に立ちたいとの欲望だ。ここに誘惑と罠があ
ると。いつも人のものを欲しがり、比較しては、満たされない心で、
絶えず欲求不満に陥る。

しかし主を見上げる時、どうだろう。私たちは何一つ持たずに、こ
の世に来て、何一つ持たずにこの世を去る。今、生かされている事
は恵みだ。主は、いっさい何も思い煩うなと言われる、主の愛にお
おわれ、必要は必ず備えられ、日々に生きる喜びと平安が与えられ
ている。主が満ち足りる心を与えて下さるので、状況に関係なく満
足がある。何と幸いだろう。

満足は、外側のものからでなく、主からしか来ない。幸せとは、自
分の欲望が満たされる事と思うが、そうではない。そこに満足は無
い。更に渇くばかりだ。主に自分を明け渡して行く時、御霊に満た
される。その時、真に心の満たしを経験する。満足が心にある。何
と幸いだろう。
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もう十分ですと、神に生かされている存在であることを忘れず、そ
の恵みを素直に喜んで生きていよう。欲求に突き動かされて生きる
事が力の証のようなこの世にあって、なんと豊な人生だろう。