2020年02月29日(土)

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでい なさい」へブル12:2



不信仰とは、信仰が足らない事ではない。不信仰とは主を仰がず、
自分の力、自分の判断、自分の知恵を信じることだ。つまり、主を
頼らず、自分を頼り、主ではなく、自分を神として生きる事になる。
不信仰とは、自分の人生の全主導権を、自分が堅く握って生きる事
だ。

車の運転席に自分が座っている。主は助手席だ。自分主導で思い通
りに生きることだ。又、自分主導なので、問題に面した時、すべて
が自分の肩にかかる。だから負いきれずに思い煩いでいっぱいにな
る。しかしむしろ真面目に生きているつもりなので、気づかない。

不信仰とは、自分のための神であり、自分がより良く生きるための
神、あくまでも軸が自分であり、自我だ。見ているのは主でなく、
いつも自分自身だ。不信仰とは、信仰の量の不足のように思うが、
主を仰がず、主に頼らないことだ。

信仰とは、自分の思いを捨てて、主の判断、知恵、主の心を求めて、
生きることだ。自分は助手席に座り、主に運転席に座っていただく
事であり、自分と自分の人生を、主に明け渡して行くことだ。主を
仰いで、生きて行く時、必ず自分が変えられて行く。

自分の損得でなく、主の御心を求めるように少しづつ変えられて行
く。これは奇跡だ。主の喜ばれることを求め、それが自分にとって
不利益であり、損になろうと従って行く。その時、御霊の喜びと平
安、真の心の満たしを経験する。そして御霊によって歩んで行ける。

・・・・・・・・・
主が信仰の創始者であり、完成者だ。一歩一歩信仰の成長へと導い
て下さる。その主を見ること、信頼することが信仰だ。目の前の
問題が巨大に見えてしまうが、問題でなく主を見よう。そして握り
しめている問題を、主に手渡せるよう祈ろう。主が働かれる。