2021年07月31日(土) 「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあな たがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心 を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」ヨハネ14:27
「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあな たがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心 を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」ヨハネ14:27
主のよみがえりの後、弟子たちは、主が復活された事を、聞いて知 ってはいたが、ユダヤ人を恐れて、戸を閉じて、引きこもっていた。 しっかり鍵がかけられていた。弟子たちの心は、複雑であったろう。 不安や恐れ、戸惑いや混乱、主を裏切って逃げた取り返しのつかな い、責め、とがめ・・ネガティブなものが様々混じり乱れていた事だ ろう。 閉じられた部屋の閉塞感のようだ。そこに突然、戸が閉めてあった のに、主が現われて、彼らの中に立たれた。ドアノックもなく、ド アを開けようとする気配も無く、突如、目の前に来られ、そして言 われた。「平安があなたがたにあるように」と。 弟子たちは、びっくり仰天し、動揺し、慌てふためいただろうか。 その時に主は、その手とわき腹を彼らに示されたとあり、弟子たち は、主を見て喜んだと。週の初めの日の夕方とあり、まだ3日前の 傷跡を見て、それこそが、自らの罪を負い。十字架で贖って下さっ た傷跡だった。 この傷こそが、「平安があなたがたにあるように」との根拠だから だ。「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によ って、私たちはいやされた」主の十字架により与えられる「平安」 だ。心のいやしだ。すべての罪が赦される。この平安は、何にも代 えられない平安だ。 信仰人生での、苦しい厳しい試練の中も、心の奥に確かに存在する 揺るぐ事のない平安だ。主の十字架によりもたらされた、「世が与 えるのとは違う」「わたしの平安」、主の平安だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 主を知る以前は、心の奥に空洞があって、穴が開いていた。心は虚 しく、何によっても満たされる事は無かった。そこに十字架の贖い により、罪が赦されたゆえの、平安が臨んだ。世には決して無い、 何にも代えられない、主が約束された平安だ。