2021年10月31日(日) 「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あな たは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました」詩篇30:1 1
「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あな たは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました」詩篇30:1 1
詩篇によると、ダビデは嘆いている。自分の嘆きを注ぎ出し、苦し みや痛みをことごとく御前に言い表している。涙は止まらず、いら 立ちで衰え、敵の攻撃に弱っていると。弱り果てて、疲れきった姿 をありのまま出している。クリスチャンはいつもニコニコしている と思っていたら、ほど遠い姿だ。やせ我慢をするのでなく、素直に 率直に、感情も言い表している。 悩みや問題の無いふりをしていない。「夕、朝、真昼、私は嘆き、 うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる」嘆いて、うめいて いる。気持ちを抑え込むのでなく、それを主の前に言い表わしてい る。ダビデのように私たちも、気持ちを抑え込まずに、主に告げよ う。「すると、主は私の声を聞いて下さる」と。主にありのままこ とごとくを告げて行く時に、「泣く声を聞かれ」「切なる願を聞か れた」。 主が私の祈りを受け入れて下さったと、平安にされている。そして 「嘆きを踊りに買えて下さった」「荒布を解き、喜びを私に着せて 下さった」と。私たちも経験する。主に気持ちを、思いを、嘆き、 悲しみ、苦しみ、怒り、思い煩い、不安・・率直にありのまま告げて 行く時に、段々気持ちが落ち着いて来るから不思議だ。状況は変わ らず、同じままだが、動揺し、恐れで支配されていた心が、変えら れて、大丈夫だと思えて来る。 状況と自分しか見ていない目が、状況と自分から目を離し、主を見 上げるところから来る平安だ。主に聞いて頂いたという事で、安堵 が来る。祈りに持って行けたので、主がこの事態を、主の思われる 最善に導いて下さるとの信仰が来る。主に行き当たりばったりはな く、ご計画を持っておられる。どのように導き、良くして下さるか、 待ち望もう。嘆きを踊りに変えて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・ 目の前の苦しみや悩みを、必ず主は踊りに変えて下さる事を見つめ て、信じていよう。辛い、苦しい、悲しい、気持ちを主に告げよう。 不思議だが、あれほど苦しかった心が、ふっと違って来る。祈りを 積みつつ、状況を見て行こう。時間をかけつつ、祝福へと結果して 行く。