2022年02月28日(月)

「その人はヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつが いを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつ がいがはずれた」創世記32:25



ヤコブは兄エサウをだまし、祝福を奪い取った。兄は激怒。ヤコブ
は殺されるので逃亡。荒野で独りで日が暮れた。不安と恐れ、寂し
さ孤独感に襲われた事だろう。その陥った窮地で、神に出会う。
「わたしが共にあり、守り、この地に連れ戻す」との約束を得る。
伯父ラバンのもとに身を寄せるが、この叔父が狡猾であり、厳しい
訓練を受ける事になる。

伯父にだまされ、レアとラケルの二人の妻のために14年の労働を強
いられ、更に伯父のために6年間、計20年の苦しい労働をする。騙
したヤコブは騙された。辛い訓練だ。やがて神の時が来て、故郷に
帰るが、兄の怒りが恐怖でたまらない。一家殺害されるのではない
か。肉の知恵で、あらゆる策を練るが、恐怖がもうどうにもならな
い。

彼の問題は、兄を欺いた事だけでなく、「人を押しのける者」との
根本的な性質、今に至った強い自我、エゴ、自己中心という罪の問
題であった。とうとう主が、ヤボクの渡しで、兄に怯えるヤコブを
捕らえ、相撲をとり、もものつがいを打たれた。ヤコブは、主によ
り砕かれた。私たちも自分の強い自我は、自分でどうにも出来な
い。

ヤコブのように、私たちも主が砕いて下さる。主が砕いて下さらな
ければ、この強固な自我は自分でどうにもならない。主の砕きは、
愛であり、感謝な事だ。もう「名はヤコブ(人を押しのける者)で
なく、イスラエル(神の王子)」だと。今、試練があるだろうか。
しかし主は試練を通して、最善のご計画を持っておられる。
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自覚していること、いないこと、自分の内に多くのいびつな部分が
ある。決して表には出さず、主にも明け渡さないところを主が取り
扱われる。痛いことも主のご計画だ。そこから学んでいこう。