2023年01月31日(火)

「兄は答えて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかっ た」マタイ21:29


主は、二人の息子のたとえを話された。ある人に二人の息子がい
た。二人の息子は、父親に「ぶどう園に行き、働け」と言われた。
兄は「行きます」と立派な答えをしたが、行かなかった。弟は「行
きたくない」と嫌なので拒否したが、後で悪かったと思い直し、出
かけた。「どちらが父の願った通りにしたか」と、祭司長や律法学
者たちに問われた。

彼らは「後の者です」と答えた。主を拒否している彼らであった
が、そのように言った。主は、弟は、取税人や遊女のようだと言わ
れた。彼らは律法に従わず、罪を犯していたが、ヨハネの悔い改め
の教えに聞き従い、ヨハネがメシアだと示した、主を受け入れた。

逆に、行くと言ったが、実際は行かなかった兄は、表向きは道徳的
で、立派な行ないをしているように見えるが、ヨハネを拒み、その
言葉を拒み、主を認めず受け入れない、それが彼らの姿であると言
われた。私たちはどうだろう。信仰生活が長くなると、知識もつい
て、表向きはクリスチャン的な振る舞いができてしまう。

だが、中身はどうだろう。外側と内側が別々で、信仰と日常生活が
リンクせず、それはそれ、これはこれの二重生活になっているだろ
うか。それなら素晴らしい御霊の喜びや平安が味わえない。肉は、
自分の領域は固く守り、どこまでも自分の思い通りに生きたい。
しっかりと自分を握り締めて放さない。

だが御霊は一歩〃手を取って導いて下さる。自分でどうこうするの
でなく、御霊の示しに素直に従おう。示された事に従う時、又、次
の一歩が示される。従って行く時に、この世には無い、御霊の喜び
と平安を経験し、味わって行ける。
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正しい答えは簡単に言えるが、主はその真意を知っておられる。や
はり悪かったと御霊の示しを聞けることが恵みだ。主がどこまでも
御霊を通して導いてくださる。真剣に主を求めていきたい。