2023年06月30日(金)

「・・何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろし てみましょう」ルカ5:5 


ペテロは、夜を徹して漁をし、一匹もとれなかった。主は湖岸で群
衆に御言葉を語る中、ペテロは背を向け、網を洗っていた。その
時、主は、舟を岸から少し出すよう頼み、舟の中から語られた。ペ
テロは、疲れた身体で引き受けたが、主は、話が終わると、沖へ出
て、網をおろし魚をとるよう言われた。え?魚は、日中はとれな
い。

見える所と、主の言葉が相反する。どうすればよいのか。ペテロ
は、「でも、おことばどおり」、主の言葉に従い、網を下ろす方を
選んだ。すると驚くばかりの大漁だった。常識では、いるはずの無
い魚がいたのだ。ある宣教師が、ある月、母国からの送金が少なめ
だった。家賃、光熱費等、様々経費を支払うと、余り残らず、どう
したものかと、とにかく切に祈っていた。

すると遠方への訪問予定があり、以前より交通費等を準備していた
が、相手の都合でキャンセルになった。それを生活費に回せると、
これは祈りの答えと喜んだ。だが突然の体調不良で、病院通いが入
り、想定外の出費となった。せっかく与えられたのに、これは一体
どういう事かと、御心を求めて切に祈った。

すると、何と更に献げるよう示されたのだ。え?もう底をつきかけ
てるが、しかし従う決心をし、示しに従った。するとその直後、説
教奉仕依頼があり、その教会で愛の献金があり、何と必要経費すべ
てが満たされたのだった。主の示しが、状況と相反しても、「おこ
とおばどおり」従おう。
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主の御言葉の通りにするためには、自分の経験値や価値観を主に渡
さなければできない。この当たり前の事ができない。まず自分で考
え込んでしまう。自分自身をすっかり主に委ねる事から祈りたい。