2024年06月30日(日)

「主はその母親を見てかわいそうに思い、『泣かなくてもよい。』と 言われた。」ルカ7:13



夫が亡くなっている女性、その一人息子が、死んで、かつぎ出され
るところに、主は遭遇された。夫がいない上に、たった一人の息
子を失うとは、彼女は、どん底の悲しみ、絶望であったろう。病気
やけがなら治り、回復するが、死だけは何もかもを、容赦なく断ち
切ってしまう。後戻りも、回復も100%不可能だ。

何もかもが打ち砕かれてしまった状況だ。当時の夫のいない女性
は、社会的に非常に厳しい状況にあった。唯一頼りであった息子、
そして生きがいそのものであった、大切な息子を失うとは。はらわ
た裂かれる思いだったろう。生きる望みであり、力、支えが無くなっ
てしまった。彼女は泣き続けていた。

そこに、主が「泣かなくてもよい」と御声をかけられた。「かわいそう
に思い」「深い同情をよせられ」「あわれまれ」とあり、強烈な同情だ。
主は、腹の底からのあわれみが湧き出で、溢れ流れ、青年をいや
された。母親から頼まれたわけでなく、一方的に主の溢れ出るあわ
れみによってであった。「青年よ。起きなさい」の言葉で、息子は生
き返った。

主は口先でなく「深い同情」と共にいやす事のできる「力」を持ってお
られる。「泣かなくてもよい」は、その通りに成就した。同じ主が、今、
悲しみのどん底にいる私たちに、腹の底からの同情を寄せて下さっ
ている。「彼を母親に返された」失ったものを返して下さった。何とい
う慈しみで喜びだろう。この主が、あなたの目の前におられる。

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「かわいそうに」思って下さる主。「泣かなくてもよい」と言って下さる
主。「かわいそうに」「泣かなくてもよい」と、かたわらに、心の内に
おられる。なすすべなく、泣くしかない、涙の祈りは、ずっと答えら
れてきた。